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2015.03.11 あれから四年
こんばんは。

今日の記事は、一切ゲームのことが出てきませんので、ご了承願います。




さて、報道でいろいろと特集をやっていますが、今日3月11日、東日本大震災から4年経ちました。
なんだか、月日が経つのは早いもので、もう4年も経ったんですね。。。

で、今回なのですが、せっかくですので私の震災直後のお話でもしようかなと思います。
実際、報道などでいろいろと言われてますが、なかなか生の状況については、そこまで取り上げられてないと思いますからね。




震災発生時、私は普段通り仕事をしていました。

地震が来たとき、最初は

「あっ、地震だ」

程度だったんですが、次第に揺れが強くなり、そのうち机の上の物が倒れ出しました。

よく、避難訓練で地震の時は机の下に隠れなさいと学校の先生に言われたものですが、、その時は自然と机の下に隠れましたよ。

だって、机の上の物とかパソコンとかが落ちてくるんですから。

あの揺れは例えると、なんでしょうかね・・・例えようがないというか、建物の中にいるはずなのに、何かのアトラクションにでも乗っているような感じでした。

正直ここだけの話ですが、現場のビルがお世辞にも新しくはなかったので、その時本気で

「あ、これはヤバいかもしれない」

と思いました。それくらいに強い横揺れでしたから。

そして、揺れが収まり廊下に避難した時、壁に大きな亀裂、外を見れば向かいのビルの壁がボロボロになってるのを見たとき、これは只事ではないことが起きたんだと実感しました。

その後、無事に外へ避難し、避難場所の近くの小学校へ移動。
1時間くらい待機状態になり、その後、帰宅できる人は帰宅してもいいということになったので、ひとまず私は帰宅することにしました。

とは言え、現場から私の家までは約30kmくらい離れてるんですがね。
道路は混乱状態でしたし、当たり前ですが電車も止まってたので、歩いて帰るしかありませんでした。

その時、現場の人達と途中まで一緒にいたのですが、何故かいきなり大雪が降り出したので、一旦一緒にいた人の自宅へ行くことに。
そこでちょっと休憩をし、携帯食料を分けてもらって、再度移動を開始しました。

途中途中コンビニがあれば、そのたびに寄り道しては食料を買っていたのを覚えています。
今思えば、食料も大事でしたけど、アルコール消毒とかウェットティッシュとか、衛生関連の物も買っておけばよかったと感じでいます。実際にその後、苦労しましたからね。。。

そして、なんやかんや歩き続け、確か23時くらいだったと思うんですが、ちょうど現場と自宅の中間地点辺りにある駅まで着いたときに、何故だか人がどんどんこっちに戻ってくるんです。
とはいっても、戻ったところで行くところもなかったので、とりあえずそのまま進んでみたら、どうやら国道が完全に冠水してしまい、先には進めないとのこと。
(数か月後、その場所の状況がテレビで放送されてましたが、あんなことになっているなんて思ってもみませんでした。)

その時、一応裏道というわけではないのですが、国道沿いじゃない道も知っていたので、そっちのほうへ行ってみたのですが、田んぼが湖みたいな状態でした。
おまけに、街灯もついていないので、行く先が真っ暗ということもあり、結局そこから先には行けなくなっていました。

でも、このまま外で一夜を過ごすには寒すぎるということもあり、ちょうど近くに避難所になっていた小学校があったので、入ってみました。

中に入ってみると、ボランティアの人が、教室へ案内してくれて、その日はその教室で一夜を過ごすことになりました。
とは言え、寝れるわけもなく、結局流れているラジオの情報を聞いていただけなんですがね。

ちなみに、そのとき父と姉とは何とか連絡が取れ、無事なことを確認できました。
問題だったのが、母との連絡が取れていないこと。
そりゃ、家族ですからね、心配になります。
でも、連絡手段がない以上、無事であることを祈るしかありませんでした。

そして、翌朝6時くらいだったと思います。
日も登り、あたりが明るくなってきたので、ジッとしていてもラチが開かなかったので、早々に移動を再開しました。

国道のほうに行ってみると、水は引いていたんですが、車がまるでおもちゃ箱をひっくり返したような状態みたいに、あちらこちらと転がっていました。
行けるところまで、行ってみたんですが、結局国道は進入禁止になっていたので、裏道のほうへ。

なんとか、歩ける状態になっていたのでドンドン歩いていると、通りすがりの方に、

「その食料どこで買ったんですか?」

と聞かれました。
そりゃそうです。私、前日に途中途中のコンビニで食料を買っていたので、両手には食料をたんまり持っていたんですから。
その時は、

「ここまで来る途中のコンビニで買いましたよ」

と伝えました。

相手の方は、「ありがとうございます」と言って行きましたが、無事に食料は調達できたんでしょうか。。。

で、ある程度歩いたところで、母が務めていお店まで着きました。
ちょうど、そのとき店員さんが外にいたので、母のことを聞いたところ、前日に車で自宅まで送ってもらっているはずとのこと。

その時は、安心したせいか、一気に疲れが押し寄せましたね。
その後、かなりの遠回りをしながら無事に自宅に到着。母もホッとした様子でした。

ちなみに、自宅についたとき、私の靴とスラックスは完全にヘドロだらけになっていました。
もう道路なのか何なのかわからない状況でしたから。




これが、私が震災にあったときから、自宅にたどり着くまでの実話です。
ちなみに、ライフラインは水、電気が2週間ほど使えませんでした。
ガスは、プロパンだったので問題なく使えたことは不幸中の幸いだったと思います。

お話の続きは、まだまだあるんですが、もうだいぶ長くなってしまったので、今回はここまでにしておこうかと思います。

四年の月日が流れても、今だにあの時の光景、記憶は残っているものですね。
でも、もっと時が経てば、どんどん風化していくと思うので、こうやって記事として残しておくのもいいんじゃないかと思います。

復興自体はだいぶ進んではいますが、特に福島はいまだに帰れない人が大勢いますね。
その方々も、早く普段通りの生活に戻れることを祈っています。

また、震災被害で亡くなられた方々には、ご冥福をお祈り申し上げます。

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